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高津家の歴史

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「高津橘会」-一寸一言-

ご存じの通り高津家は長寿の系統で安心しておりました所、近年兄弟が私を残して次々に死去致しましたので、知らぬ間に昔の事を知っていると言う事になりましたので、お墓の思い出を書いてその責を果たしたいと思います。
私が六才の時は、今の墓所の真中に池があり、その池の中頃が狭くなっていて、飛石が二つ位あり、その池に着物の儘はまって、着物が濡れて天下茶屋から別の着物を持って来てもらった事があります。
毎年地蔵盆がありまして、その時分は兄弟もまた親類の子供多くあり、池を埋めた広場に床机を出し徳太郎さんや忠次郎さんがお坊さんのお経の間木魚をあたたき、子供は大きな念珠(じゅづ)を廻して大きな玉が来るとお祈りをする。これが子供には珍しく喜んだものです。昔は行く所。遊ぶ事が少ないので、地蔵盆には墓に参るのが楽しみでした。近年なっては、子供も外に遊ぶ事が沢山あるので、子供が少なく「大供達」許りとなり淋しくなりました。
明治の初めに、町人も姓名を許され、高津の宮を守って来た七人の神主も姓名を付ける事になり、仁徳天皇がお作りになった歌の文句を取り、かのも、このもと、高津ヨネの祖父、父の名が出来、高津河合その他の人もそれぞれの歌の中の文句をもらって名を付けたそうです。
神主はその当時、行政官で番所に携わることは出来ずその代り、あの近所(高津一番地)の土地をもらったそうです。
くだらぬ昔話で恐縮ですが、間合い許し下さい。知らぬ間にこのような昔話をする年となりました。何かの参考になりましたら幸せです。
この世より、あの世に知り合いが多くなり、ふるさとへ向かう六部は、気の弱り。
これで、私の話は終わらせて戴きます。皆様の御繁栄と御健康とを祈り、御挨拶に代えます。

年寄 高津

高津橘会の目的は、高津橘会規約にこうあります。

高津家のお墓の印

この会は、大阪市中央区日本橋2丁目1番19号所在の高津家累代墓地を公衆衛生その他公共の福祉に適合するように適正に管理運営し、(特に墓の有する人達が主体となって運営する)もって高津家祖先への崇敬の念を子供に承継すること目的とする。

津家のお墓

高津家のお墓は、大阪市から許可をもらったお墓でもあるのです。

高津家のお墓

大阪市指令 大保第51号 平成15年10月24日
施設名称:高津家累代墓地
施設所在地:大阪市中央区日本橋二丁目1番10号
(地番:大阪市中央区日本橋2丁目30番3)

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